杉江の読書・『イーヴリン・ウォー傑作短篇集』(高儀進訳/白水社)

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51l3+FTi1GL._SX342_BO1,204,203,200_ イーヴリン・ウォーの短篇で最初に読んだのは「ミステリマガジン」に訳載されたTactical Exerciseではないかと思う。第二次世界大戦によって人生を狂わされた男の話で、戦前に持っていたすべてのものを失ったジョンは、次第に妻・エリザベスへの憎悪を募らせていく。夫と妻の犯罪を描いた作品は他にいくらでもあるが、この小説を唯一無二のものにしているのはその特殊な動機だ。感情のねじれた男にとって妻は、旧秩序を破壊し、自分から大事なものを奪い取った社会主義政権の象徴なのである。彼は半ばそれが正義の行いであるかのように信じながら妻殺しの計画を立て始める。

ウォー作品を高儀進訳で読める幸せ、と別のところで書いたが、作者の没後50周年を記念して刊行された『イーヴリン・ウォー傑作短篇集』(白水社)は、すべての短篇好き読者にお薦めしたい良作だ。ミステリーファンには冒頭で紹介した「戦術演習」をとにかく読んでもらいたいし、「ディケンズ好きの男」と「ラヴディ氏のちょっとした遠出」はきついブラック・ユーモアがお好きな方なら絶対気に入るはずだ。初訳となる四篇、「気の合う同乗者」「アザニア島事件」「〈ザ・クレムリン〉の支配人」「お人好し」も、いずれも小品ながら期待を裏切らない出来である(それらのあるものはヘンリー・スレッサー風であったり、またはO・ヘンリー風であったりと、少しずつ風合いが異なるのもいい)。

ウォーには幕切れでどきっとするようなことを投げつけてくる癖があり、そのために後味がいつまでも残る。「ベラ・フリース、パーティを開く」における主人公の孤独な肖像、「勝った者がみな貰う」の突き放したようにある男の人生を綴る冷徹さを、私はきっと忘れないだろう。『ブライヅヘッドふたたび』の甘い感傷とは対極の作風であり、併読するとウォーという人物の複雑さがわかり、畏怖の念が浮かんでくる。

(800字書評)

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