某月某日
先々週土曜日の続き。
古書五っ葉文庫を出て、犬山市内を急ぎ足で歩く。これまで足を運んだことがなかったが、この街には他に三軒の古本屋があるのだ。駅から西に延びていく通り沿いにまず一軒、一階の洋菓子店が二階で営業している、食に特化した本屋tsudeである。新刊に混じって一部が古本という感じのお店で、レシピなども含めてなかなか興味深いものがあった。
そこを出て西に進み、北へ曲がる。そうすると観光客も歩くような風情漂う通りに出るのだが、そこの四つ角に道標があり、辻を越えて50メートル進んだところに古本屋かえりみちがあることを教えてくれている。この古本屋かえりみちが、五っ葉文庫と並んで犬山市に行くその筋の人のお目当てにする店なのではないだろうか。文学書が多く、特に日本作家の選書には店主が意図をもって置いているということがはっきり表れている。幻想文学や児童文学、自然科学の本なども目立ち、傾向がはっきりした書店だった。実は犬山に泊まってここは翌日来ようかと考えていたのだが、店内に貼ってあった掲示によればその日はお休みらしい。危ないところであった。犬山市内の古本屋は閉店が早いので、このあと引き返してきたのでは間に合わない。この時間帯に来て正解だったのである。
古本屋かえりみちを出て少し西に行くと、観光客向けのお店が並んで鎌倉の長谷周辺に似た雰囲気になっている稲置街道に出る。それを南下、急に寂しい雰囲気になったら、道の左側にあるのが椙山書店である。よし、これで全店回れる。
間口が広くないので油断していたが、戸の中に入った瞬間に、なんだこれは、と思わず呟いていた。いわゆる鰻の寝床である。奥に向かって長いのだが、長いにもほどがある。鰻が縦に二尾連なっているような奥行なのだ。入口入ってすぐは文庫や雑本の棚で、それが天井まで続いている。間違いなく昭和からそこにあるだろうという本の群れが目に入り、これはいちいち見ていたら絶対に間に合わなくなる、と覚悟した。急ぎモードの目に切り替える。
急ぎモードの目とは、あらかじめ必要とする本の背表紙パターンだけを登録しておき、それ以外のものについてはベタの風景になるように見逃していくやり方である。そんなことができるのかと言われそうだが、できるのだ。見たことのある本は探せるが見ないと探せないというのはこういうときがあるからで、背表紙の色や形だけ覚えていればなんとか引っかかるものなのである。
無事にこの急ぎモードで最初の鰻を通りすぎる。が、奥にはいるとがらりと様相が変わる。こっちはコミックやアニメ、ホビー関連のサブカルの群生である。しかもけっこう珍し目の本が二冊ずつとか置いてある。これまた見ていると絶対に時間がなくなるので、今日はこのジャンルは必要ない、と意志をもって情報を遮断して回ったが、何度か誘惑に負けそうになった。探していたコミックの単行本が不ぞろいであったのを見つけてしまったのだ。電子書籍になっていないこともあり古書価は高いのだが、ここでは知ってか知らずか100円均一に近い。思わず手に取りそうになった。不揃い、不揃い、と言い聞かせてなんとか元に戻す。危なかった。揃いだったら間違いなく買っていた。
さてどうしよう、と思って元の鰻の場所に引き返した。ここの本はビニールで覆われているものが多く、昭和以前の古いものだとそのビニールが汚れていて中が見えないのである。特に古そうなものが集まっている一帯があったので、残された時間でそこを集中的に見る。藤原審爾があるかもしれないし。藤原審爾があるかもしれないし。
ほらあった。藤原審爾ではないが、辻寛一だ。自民党の代議士を長く務めた人で、ご存じ辻真先の実父である。その随筆集『議員宿舎』(新小説社)である。辻寛一は同郷の幼馴染である浪曲師・酒井雲の後援会長を務めていた時期がある。その縁や、長谷川伸に師事していたこともあって浪曲師の知人が多いのである。そのことがばっちり書いてある。おお、永田貞雄が三代目天中軒雲月を売り出す話などもある。これは買い、思わぬ収穫である。
勘定を済ませて店を出て、急いで犬山駅へ。ここから引き返して急行で一つ目の扶桑駅が本来の目的地なのである。扶桑文化会館で、地歌舞伎の七賀十郎一座が浪曲の真山隼人・沢村さくらと競演で「三人吉三巴白波」をかけるという公演があり、それを聴きに来たのだ。
会館は500人ほどの1階席が満員で、盛況であった。公演の模様はまた別途。結構なものを見せていただき、大喜びで引き揚げた。