杉江松恋不善閑居 とんでもなく貴重な浪曲資料が出てきた

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某月某日

今抱えている仕事。インタビューの構成×1(イレギュラー1)、レギュラー原稿×3。イレギュラー原稿×1(調整待ち)、ProjectTY書き下ろし。下読み×2。

やらなければならないこと。主催する会の準備×1。

まごまごしている間にレギュラー原稿の〆切が一つ来た。昨朝早くに書きかけていた一本を片付け、さあもう一本というところでトラブルが起きた。パソコンのバックアップに浸かっているDropboxのフォルダが壊れている。原因不明で同期ができなくなっていたので再インストールを行った。これに時間を取られてしまい夕方に。急いでもう一本レギュラー原稿を入れて、なんとか一本半にして帳尻を合わせる。なかなか二本が書けない。残りを減らしているうちに難物ばかり残ってしまったので、今日はなかなか手がつけられずにいた原稿から終わらせる予定。午後を仕事読書に当てて、明日にはなんとか難物その2を片付けたいがどうなるか。

先日仲宇佐ゆりさんに取材していただいた『週刊朝日』「週刊図書館」に『浪曲は蘇る』著者インタビューが載る。ありがたい限りである。また、「山形新聞」にも書評が掲載されたそうで、送ってくださった方があった。これまた実にありがたい。

ありがたいといえば、昨日は貴重な資料が届いた。上野櫻亭が開亭したときのパンフレットだ。

上野櫻亭といってもご存知ない方のほうが多いと思う。浪曲定席は大正の関東大震災でいったん壊滅的な被害を受けたが、その後また増え、第二次世界大戦の空襲で再び打撃を受けた。終戦後の1945年後半に浪曲公演を開催したことがはっきりわかるのは松竹演芸場、ヶ月劇場、日比谷公会堂、人形町喜扇亭(喜は環境依存の七が三つの字)、築地東京劇場、十条大塚クラブ、井之頭公演劇場といったところだが、これらは浪曲定席ではない。浅草にあった金車亭は1945年3月を最後に浪曲公演の記事が途絶えてしまっている。焼かれたのだろうか。

そうした状況下、1948年に戦後最初の浪曲定席として名乗りを挙げたのが上野櫻亭だったのである。場所は現在の東京地下鉄株式会社の本社ビル地下(東京都台東区東上野三丁目19番6号)、ここに地下鉄ストアーという商店街が設けられており、櫻亭はその中にできた。

これまで1948年ということしかわからなかったのだが、パンフレットから8月6日が開業日であったこと、昼夜入れ替えなしで午後1時と5時半の二回公演だったことがわかる。5日ごとの番組で最初は浪花亭綾太郎、浪花家辰之助、浪花亭駒造、東家左樂遊、松風軒榮樂が昼夜とも出演した。入場料は残念ながらわからない。綾太郎は「壺坂霊験記」のあの人、駒造はその弟子の三代目だろう。辰之助と左樂遊は代数が不明、榮樂はモタレ読みとして高名だった初代ではなくて、二代目のほうではないかと思う。

櫻亭が存続したのは1949年3月までで、そのあとは上野地下鉄劇場という映画館に切り替わった。不入りだったとも思えないので理由はわからない。そのあとはまた定席が無い状態になり1955年に南千住・栗友亭ができるまで続くのである。上野地下鉄劇場は、当時の営団地下鉄が本社機能を拡充したためにこれも無くなったと社史にあるらしい。実物に当たって調べなければ。

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