翻訳ミステリーマストリード補遺(55/100) ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』

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翻訳ミステリー大賞シンジケートの人気企画「必読!ミステリー塾」が最終コーナーを回ったのを記念して、勧進元である杉江松恋の「ひとこと」をこちらにも再掲する。興味を持っていただけたら、ぜひ「必読!ミステリー塾」の畠山志津佳・加藤篁両氏の読解もお試しあれ。

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ウンベルト・エーコが近代小説に関する知見を惜しみなく注ぎこんだ畢生の大作は、我が国では1990年に翻訳書が刊行されました。1980年代に巻き起こったニュー・アカデミズム・ブームが幕引きを迎えようとしていた時期でもあり、出たてのころはとにかく難しそうに論じる書評ばかりを見かけたもので、恐ろしくてなかなか手が出せなかったことを覚えております。後日、それこそ高峰に挑むつもりで手に取ってみたところ、たしかに取り付きにくくはあるものの、プロット自体は懐かしい古典探偵小説そのものであり、シャーロック・ホームズ譚への目配せなど、処々にミステリー・ファンを楽しませようという気遣いもあり、きちんと楽しく読み通せたことに自分でも驚いたものでした。食わず嫌いとはまさにこのこと、と思ったものです。

『薔薇の名前』は読んでいくと様々な分野や作品に通じる小径=pathを発見できる小説です。ハイパーリンクが文中に設けられているようなもので、知の体系に遊ぶための手引きとして読むもよし、ただ情報に戯れるもよしで、さまざまな楽しみ方を許してくれる良書です。翻訳ミステリーと一般文学は決して遠く隔てられた世界ではなく接点には思わぬ発見があるのだということを本書は読者に気づかせてくれるでしょう。エーコはエッセイ『小説の森散策』の中でもミステリーというジャンル文学についての考えを詳しく述べております。こちらは親しみやすい内容なので、もしよろしければ。

ところで1990年には文学書を巡る、もう1つの重要な出来事がありました。サルマン・ラシュディ『悪魔の詩』(新泉社)が翻訳されたのです。ムスリム社会の中では同書に過敏な反応をする勢力があり、出版関係者に対して死刑宣告が行われて、わが国でも翻訳を担当された五十嵐一氏が殺害されました。こうしたテロ行為は決して許されませんが、「現実を浸食する物語」がエーコの重要な主題であったことを思い返すと、小説に対する態度について今一度考えたくなるのです。エーコは小説第2作の『フーコーの振り子』以降、陰謀論をライトモティーフの一つとして明確に打ち出すようになります。現実の歴史においてしばしば、物語は大きな悲劇を産みだす元凶となってきました。エーコはそのことについて忘れない作家でした。晩年の著作『プラハの墓地』『ヌメロ・ゼロ』も、フェイク・ニュースについての皮肉な物語だったのです。物語とは何かを考えるとき、負の側面についてもエーコは決して目を逸らさずに見つめ続けました。そんなことも含めて、彼の著作には大きな魅力を感じるのです。

『薔薇の名前』を畠山・加藤両氏はこう読んだ。

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